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2005年5月22日
セル教会メッセージ
(エミルダ・ミランダ師)
教会における聖霊(パート2)
あなたは時々、次のように自問することはないでしょうか? 「なぜ私の魂は意気消
沈しているのか? なぜ私はこんなにも落胆しているのか? なぜ私にこれらの恐れがあ
るのか?」このようなものはみな、常に聖霊と関わるものであることを知らなければ
なりません。イザヤが語るように、聖霊が注がれる所には結果として平安があります。
もしそのような結果がなく、動揺があるのなら、私たちは自分の心に目を向けなくて
はなりません。すべての問題や実のない状態、そして絶望といったものは、聖霊の力
を自分のものにしていないことからもたらされるのであることを、イザヤは明確に示
しています。
なぜこれらの人々に聖霊は注がれないのか?
イスラエルの不注意(のんき)と気楽さ(うぬぼれ)のゆえに御霊は注がれなかったと
イザヤは言っています。問題は霊的怠惰だったのです。「のんきな女たちよ。立ち上
がって、わたしの声を聞け。うぬぼれている娘たちよ。わたしの言うことに耳を傾け
よ。」イザヤ32:9。
「女たちよ」というフレーズは、実際には会衆全体を指しています。この比喩的描
写は御言葉全体に表れています。雅歌では神の選民を「エルサレムの娘たち」と言及
し、詩篇45:13ではイスラエルを「王の娘たち」として語っています。旧約の他の箇
所でも「シオンの娘たち」というフレーズが用いられています。そしてもちろん新約
において教会は「キリストの花嫁」として知られています。神はここで二度に渡り気
楽にしている(うぬぼれている)ことでイスラエルを警告しています。まず「のんきな
女たちよ。立ち上がって ・・・うぬぼれている娘たちよ。」とあり、それからイザ
ヤは「のんきな女たちよ。おののけ。うぬぼれている女たちよ。わななけ。着物を脱
ぎ、裸になり、腰に荒布をまとえ。」と加えています。(イザヤ32:11)
ここで「のんき、うぬぼれ」と訳されているヘブル語には、「大胆、自信たっぷり」
という意味があります。つまり、ここでは次のように言われているのです、「信者よ、
不注意から目覚めよ。あなたは自分の罪の中でうぬぼれている。あまりにも自信を持
つあなたは霊的な怠け者になってしまっている。この不注意な状態から奮い立て!」
今日の教会を見渡すとき、私は多くの信者が自信という床に横たわっているのが見え
ます。彼らは預言的メッセージを軽視し、眠りから覚めるようにとの警告にすべて耳
を閉ざしてしまっているのです。このような信者はまどろむ者たちと言えます。アモ
スは次のように書いています・・・
「ああ。シオンで安らかに住んでいる者、サマリヤの山に信頼している者、・・・
あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づ
けている。象牙の寝台に横たわり、長いすに身を伸ばしている者は、・・・食べてい
る。・・・即興の歌を作り、
・・・鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。」
アモス6:1,3-6。
イザヤの書いた「のんきな女たちよ。おののけ。」の「おののき」に当たる言葉は
「恐れて震える」ことを意味します。ここで神は死んだ教会に向けて語っているので
す。神は彼らが御霊を失っていると警告しています。そこで彼らは肉によって動く教
会となり、人々にパンと生ける水ではなく、干し草と刈り株を与えているのです。彼
らは娯楽を愛し、そして彼らの中に預言者がいることを望みません。彼らは悔い改め
と正義よりも数に関心があるのです。
まもなくイエスご自身の預言の言葉が私たちの目の前で成就しようとしています。
そのとき人々の心は恐れのために失望することでしょう。世界市場が倒壊し、山々や
荒野に逃げようと人々の群れが道にあふれ、世界の指導者たちは震えて穴に隠れ、何
百万という若者たちが明日はどうせ死ぬのだと言って道路で勝手気ままに暴れる時、
どれほど多くの人々の心が破裂してしまうことでしょう?
かつて多くのクリスチャンはこの種の説教に抗議して声をあげました、「止めなさ
い。私たちはこれに耐えられない。これはあまりにも人々の気を動転させるものだ。
私たちには肯定的なメッセージを与えよ。」と。もし2001年8月に彼らの前にある人
が立って「2人のテロリストハイジャッカーによって1時間の間にツインタワーが倒れ
て崩壊し、何千人もの人々が死んで全世界が涙する。」と宣言していたなら、これら
のクリスチャンたちは「それはあり得ない!」と叫び、そして預言した者は「あなた
は恐怖屋だ!」と責められていたことでしょう。
もし数年前に誰かがスペインに行き、電車のテロ爆弾で何百人もの人が死ぬと預言
していても、それを信じる者はわずかだったでしょう。また、もし誰かが去年ロシア
で起こった学校の生徒が何百人も人質にされたうえにテロリストによって殺される事
を国に対して預言していたなら、これは信じがたいメッセージとされたことでしょう。
しかし、実際にはこれから起こる事を私たちはすでに垣間見せられているのです。フ
ロリダ南部を恐ろしいハリケーンが襲った時、この激しく荒れ狂う自然の猛威を逃れ
ようとする何百万人もの人々で北に向かうすべての道路は閉ざされ、ガソリンスタン
ドのガソリンも底をつき、ホテルはすべて満室になり、何処にも行けなくなった人々
は運転することもあきらめてしまいました。その時の被害は何百億ドルにも上ると言
われています。最後にインドネシア、タイ、近隣の国々で起こった津波があげられま
す。イザヤの預言は警告しています、「雹が降ってあの森を倒し、あの町は全く卑し
められる。」イザヤ32:19。
これらの天災は神の警告です。神が自然の力を支配し、治めています。そして歴史
上、神が愛をもって警告を重ねることなしに人々に裁きをもたらしたことは一度もあ
りません。では、来るべきこの恐ろしい事態に私たちはどのように備えれるのでしょ
うか? イザヤによれば、それは悔い改めをもってです。「のんきな女たちよ。立ち上
がって、・・・のんきな女たちよ。おののけ。・・・胸を打って嘆け。」イザ
ヤ32:9-12。
すべてがふるいにかけられる恐ろしい時代、教会はどこにいるのか?
神と共にいる牧師たちは何処でしょう? 聖霊の火を持つ羊飼いたちは何処でしょ
う? 希望と悔い改めを提供できる人々は何処でしょう? 聖霊が真理をもって人々を落
ち着かせる逃れ場を提供できる教会は何処でしょう? このような教会では噂話をする
者もなく、人生の些細なことに焦点を当てる者もいません。誰もイエスとの歩みに不
安をもつこともありません。教会の成長について語ったり、軽蔑する人と共に映画館
に行って不潔なものを受け取る者もありません。このような教会の牧師や平信徒にあ
るのは、「恐れで取り乱れるまわりの人々にミニストリーするために私は与えられる
ものを持っているだろうか?」という一事だけです。では、私たちはミニストリーす
るためにどのように備えれば良いのでしょうか? 会衆は何をすべきなのでしょうか?
「上から霊が私たちに注がれ、」ない限り、そこには希望も未来の収穫も実もないと
イザヤは告げています。イザヤ32:15。
裁きが来る前に、すべての教会、すべてのミニストリー、すべての羊飼い、すべて
の信者は御霊の注ぎを体験しなくてはなりません。イザヤ32:18「わたしの民は、平
和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。」
御霊が注がれる所には何処でも平安、静けさ、保障があります。確かに暴力、恐怖、
パニック、国々の苦悩の時はやって来るでしょう。しかし、このような時にも聖霊の
新鮮な供給を神に求める牧師たち、聖なる人々がいます。これらの人々はすでに真理
をもって彼を礼拝し、そして個人的なペンテコステを神に信頼しています。彼らの内
からは生ける水の川が流れます。
破壊的な自然の猛威が解き放たれ、私たちの高慢が低くされる時に御霊は高き所か
ら注がれます。しかし、この注ぎは祈る者たち、神の言葉におののく者たち、まどろ
む状態から目覚め、肉に信頼することを脱ぎ捨てて、砕かれた心と悔いた心を求める
者たちだけに注がれるのです。
さらに、聖霊は信仰によって求める者たちだけに与えられると御言葉は告げていま
す。あなたに質問します、「あなたは聖霊に満たされていますか? 御霊の内に生活し、
歩み、動いていますか?」 あなたの教会が繁栄しているように見える、あるいはあな
た自身の生活が成功しているように見えるといったことが重要ではありません。たと
えこれらの質問すべてに「はい」と答えることが出来ても、あなたの御霊の供給は常
に新しくされなくてはなりません。パウロも「イエス・キリストの御霊の助け」を頼
りとし、またピリピの人々の「祈り」を求めています。ピリピ1:19。
私は今日、御霊を失ってはいないすべての牧師と教会のゆえに神に感謝し、聖霊の
炎となっているすべての人々、命を誕生させているすべての火で燃える教会に感謝し
ます。しかし、悲しむべきことに、残りのものはわずかなのです。私の心は叫びます、
「主よ。聖霊よ。あなたの教会に戻ってきて下さい。戻って来て、私たちのすべての
愚かさを除き去ってください。戻って来て、キリストのための燃える情熱をもって私
たちに触れて下さい。戻って来て、人のすべての計画と計略を除き去って下さい。あ
なたの御名に不面目を帰せるすべての肉的な宗教的テレビとメディアを閉じて下さい。
そして聖霊様、私の魂を奮い立たせて下さい。私をあなたとの秘密の祈りの部屋に入
れて下さい。私が二度と急いだ祈りをすることがありませんように。あなたを待つこ
と、あなたに叫び求めること、そしてあなたが私を満たして下さるまであきらめない
ことについて私を訓練して下さい。あなたの約束された思いの平安を私に与えて下さ
い。何が来ようとも、あなたが私を見守って下さっているという安息と保障を私に与
えて下さい。」
イザヤは私たちに良い知らせを残しています・・・「今、聞け、わたしのしもべヤ
コブ、わたしの選んだイスラエルよ。あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から
形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。『恐れるな。わたしのしもべヤコブ、
わたしの選んだエシュルンよ。」イザヤ44:1-2。
最後にユダは私たちに保障しています・・・「愛する人々よ。私たちの主イエス・
キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあな
たがたにこう言いました。『終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、
あざける者どもが現われる。』この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれ
つきのままの人間です。しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最
も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身
を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望
みなさい。」ユダ17-21。
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